新宿コマ劇場概要

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新宿コマ劇場は1956年の開場以来年間100万人、開設以来4000万人以上の観客を集めている劇場です。一番の特徴は、コマのように回りながら迫りあがる3段の円形舞台。ギリシャ時代の劇場をヒントに造られたといわれており、「コマ」劇場の名前の由来となっています。館内はスタジアム形式でなだらかな傾斜をもっているため、最後部席からでも舞台をはっきり見ることができ、客席・舞台機構ともに充実したものとなっています。人気歌手公演からミュージカルまで充実したラインナップで、子供から大人まで楽しめる庶民的な劇場というイメージが濃いのも、コマ劇場の特色のひとつとなっています。1階・2階ロビー・コマ劇場主催公演の未就学児童のご入場は、ご遠慮いただいております。・劇場への外部からの飲食物のお持込み及び途中外出はお断りしております。

新宿コマ劇場、年内で閉館・観客数低迷・建物老朽化

阪急・東宝グループの興行会社「コマ・スタジアム」は28日、東京都新宿区歌舞伎町の新宿コマ劇場を今年末で閉館すると発表した。主 催する歌謡ショーなどの観客動員の低迷などで08年3月期連結決算は2期連続の営業赤字で、建物の老朽化も進んだため。跡地は、土地 を保有する東宝と再開発する計画だが、常設劇場を置くかは現段階では未定という。ショーなどの興行は当面、ほかの劇場を借りて続ける が、公演規模は縮小する見通し。

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新宿コマ劇場の誕生

新宿コマ劇場は1956年12月に「新宿コマ・スタジアム」の名で開場。初代社長は同年11月開場の梅田コマ劇場(大阪市北区)と同 じ阪急・東宝グループの創立者である小林一三氏。円形の舞台を円形の客席が取り巻く形式で、セリが回る様子がおもちゃのコマを連想さ せることからその名が付けられた。開場当初は榎本健一さんらの喜劇公演や宝塚歌劇団の公演などが行われた。NHK紅白歌合戦の会場と なったこともある。80年代以降は美空ひばりさん、北島三郎さん、森進一さん、都はるみさんなどの演歌歌手の公演が売り物になってい た。最後の主催公演は、12月2日から同22日までの元宝塚スターによる「愛と青春の宝塚」。大阪市の梅田コマ劇場は04年に阪急電 鉄に売却され、05年4月から梅田芸術劇場に名称変更しており、新宿コマの閉館で「コマ」の名が消えることになる。

新宿コマ劇場、興行

美空ひばりさんや北島三郎さんらの座長公演などで知られ、東京・歌舞伎町のシンボル的な存在だった「新宿コマ劇場」が、年内いっぱい で閉館することが28日決まった。劇場は1956年12月に開館。58年にはNHK紅白歌合戦の舞台にもなった。江利チエミ、村田英 雄、山口百恵さんらがコンサートを行ったほか、新国劇やミュージカルも数多く上演され、大衆文化の拠点として広く親しまれた。しかし 、「主な興行である演歌歌手の公演の観客動員が目減りし、新企画も思うように出なかった」(同社)ことから、2年連続で赤字を計上。 建物を保有するコマ・スタジアムと、土地の所有権を持つ東宝が協議し、劇場の老朽化が目立ち、今後の興行成績の見通しも不透明なため 、閉館を決めた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より掲載

特徴※ギリシャ時代の劇場様式からヒントを得た回り舞台が大きな特徴である。新宿コマ劇場の「コマ」は、円形舞台が独楽の回る姿に似 ている事から付けたという。舞台は同心円状に配された三重の廻り舞台と6つの小ゼリによって構成され、これらの回転と上下運動によって多種多様な舞台効果を生み出せるのを特徴としている。開場以来、幾多の改良・改修を重ね、客席・舞台機構共に充実にしたものになっている。※略歴大阪梅田にあった梅田コマ・スタジアム(梅田コマ劇場の前身)の姉妹劇場として1956年に開場した。開場当初は「新宿コマ・スタジアム」と呼称していた。2005年5月、新宿コマ劇場の運営主体であるコマ・スタジアムとアミューズ、阪急電鉄は業務提携を行い、アミューズがコマ・スタジアムの第三者割当増資を引き受ける事で阪急電鉄、東宝に次ぐ第3位の株主となった。※備考この劇場は阪急阪神東宝グループの一員であり新聞広告は東宝と同様に楽譜で枠取られてはいるが、公演の企画・制作と興行主体は東宝ではなくコマ・スタジアム自らが行う。コマ・スタジアムは東宝と同じ阪急阪神東宝グループではあるが、あくまでも東宝とは別会社である(東京楽天地やオーエスと同じ)。また、コマ・スタジアムは年数回の割合で博多座(福岡県福岡市博多区)においても公演の企画・制作を手掛けている。『マツケンサンバ』で大ヒットした松平健特別公演「歌う絵草紙」も同社の企画制作である。 夢路いとし・喜味こいしが長年所属していた大宝企画(←大宝芸能←東宝芸能関西)は、コマ・スタジアムの関連会社だった。また同社自体、1969年から1976年までの間大阪・梅田でトップホットシアターという演芸場を経営していた。コマ・スタジアムは新宿・梅田両コマ劇場の他、コマ旅行会館といったホテルを東京で経営しており、兵庫県西宮市の西宮北口駅前にスポーツクラブを経営していた。

新宿コマ劇場※思い出・感想

コマ劇場がある歌舞伎町商店街振興組合の城克(まさる)事務局長(54)は「歌舞伎町を全国区にしたランドマーク的存在だった。無く なるのは寂しいが、新施設が町の起爆剤になれば」と語った。〈歌手の北島三郎さんの話〉68年9月、コマ劇場で初の座長公演をさせて 頂いてから、今年まで通算39年間という長い間お世話になり、一言では言い尽くせないたくさんの思い出があります。9月に座長公演を 行う北島さんは「長年の友人と離れるような寂しさを感じる。いつか新しくなったコマ劇場の舞台に立ちたい」と、閉館を惜しんでいる。 これまでの感謝の気持ちを込めて9月のファイナル公演では一生懸命務めさせてもらうつもりです。〈歌手の五木ひろしさんの話〉今まで 正月公演を含め、多くのステージに立たせて頂いた。思い出のあるコマ劇場が無くなることは大変寂しく思っております。いつの日か、新 しいコマ劇場ができることを期待しております。

新宿コマ劇場※再開発

劇場内にある小劇場「シアターアプル」や映画館も閉める。今後の再開発で、劇場を再開するかどうかは未定。閉鎖後は東宝が主体となり 、隣接する新宿東宝会館と一体として再開発する予定。新施設に劇場ができるかは検討段階だという。コマ・スタジアムは劇場の撤去費用 などの再開発事業費に、東宝の全面的な支援を仰ぐ。今後も演劇興行は規模を縮小しながら、他の劇場を使って続ける。同社は03年、従 業員を3分の1程度まで減らすことなどを柱とした経営再建計画を発表。05年には大阪市北区の「梅田コマ劇場」を閉鎖するなどし、経 営の立て直しに努めてきた。

新宿コマ劇場、座席表・劇場行き方

新宿コマ劇場、下記サイトをご覧下さい。 http://www.koma-sta.co.jp/stadium/seatingchart.html